小学校教員 濱﨑伸太郎さん(あまくさと人 vol.2)

あまくさと人 第2回目に登場いただくのは小学校教員 濱﨑伸太郎さんです。

濱﨑さんは大学院修了後、養護学校教員(現・特別支援学校教員)、小学校教員と教育の現場でキャリアを積まれています。

現在は川崎市で教職に就く濱﨑さんに、都会と故郷天草の小学生の置かれる環境の違いを、ご本人の学生時代の記憶を交えながらお話をうかがいました。

 

〇これまでの経歴

天草高校から大学へ進学し、福岡大学大学院人文学研究科教育専攻を修士課程修了(中学校社会、高校地理歴史、高校倫理の教員免許を取得)。大学院終了後、熊本県の養護学校(現・特別支援学校)で働きながら通信教育で小学校教員免許を取得。2009年から神奈川県川崎市で公立小学校教員として勤務。

 

〇今、何をされていますか?

 神奈川県川崎市で小学校教員をしています。教員になって12年目、小学校教員になって7年目です。

小学校は全教科教えるので、毎日の授業の準備がたくさんあります。それに加えて、私は保護者の方とリアルタイムに教育を共有したいので、小学校教員の仕事に慣れてきた3年目くらいから毎日学級通信を発行しています。

 

〇心掛けていることは?

 一つは、怒らない指導です。大学院を修了して養護学校に勤めたので、最初に出会ったのは障がいのある生徒でした。その中には、難聴で知的障害のある子や、5~6個の手話しか使えない子がいて、思い通りにならないとかんしゃくを起して窓ガラスを割ってしまうこともありました。そういう子を怒らずにどうやって指導したらいいのかを悩みながら考えてきて、子ども達とのかかわりにつながってきていると感じています。

もう一つは、子どもたちに成功体験を積んでもらいたいです。「10のうち全部できなくても、10のうち5も出来たんだね!」という出来なかったことを批判せず出来たことを称賛できる教員になりたいと考えています。

 

〇自分が小学生の時と、今の小学生を比べると?

子どもの成長としては変わらないけど、取り巻く環境が変わってきていると思います。携帯を持っていたり、SNSでのいじめであったり、子ども達の生活が情報に左右されていると感じます。携帯を持つことで、子どもが大人の社会とつながり犯罪に巻き込まれたりもしています。

 

〇天草の小学生と都会(川崎)の小学生の違いは?

 都会の小学生は田舎の小学生と比較すると、習い事であったり塾であったり忙しい生活を送っている子が多いです。でも今は、天草もそうなってきているのかもしれませんね。また、都会の子ども達は受動的に大人と触れ合う機会が多いように感じます。それに比べて、天草は生活の中で大人と触れ合う機会が多いと思います。

 都会の子ども達は天草に比べると異年齢集団でのつながりが少ないように思います。例えば、天草のように同じ地区の子ども達が一緒に集まって毎日並んで学校に行く集団登校がありません。また、遊びの中で年下の子や立場の弱い者を守るハンデやルールの考え方が自然と身につきにくい環境にあるように思います。

 

〇子どもが置かれている環境について、都会と天草を比較して感じることは?

普段から、じいちゃん、ばあちゃんと触れ合うことは精神的に子どもにいい影響が出るのではないかと思います。そういう子ども達は人当たりが柔らかくて心に余裕があり、誰からもかわいがられるだろうなという子どもに成長している気がします。都会は核家族が多いのですが、幼少期にじいちゃんばあちゃんの朗らかなやさしさに触れていることがよいのだと思います。(写真はガラケーで祖父が撮影。濱﨑さんが好きな写真の1枚です。)

また、地域のいろいろな行事に参加している子、地域の人と積極的に触れ合う家庭の子にも同じ傾向が見られます。「挨拶をしなさい」と子どもに言うよりも、挨拶している姿を、親、そして大人が見せることが重要だと思います。子どもは親の姿を自然と真似し、礼節を身につけていくのでしょうね。

体力面では、一つのスポーツに偏るのではなく、いろいろなことに挑戦してほしいと思います。とにかく野山を駆け回っているような子は運動神経がすごくいいですね。

 

〇やりたいこと・目標としていることは?

子ども達からは担任してもらってよかったなと思われるように、保護者の方からは「安心して子どもを預けられるね」と言われるように、同業の先生方からは「すごい授業をしているね」とか「濱﨑先生みたいになりたいね」と思われるような教員になることです。

また、川崎で働き出して多くの友人ができました。私が、天草との架け橋になり、川崎の人達に天草の良さを少しでも伝えていきたいです。

天草の良さは「人間味があること」だと思います。天草を出たからこそ人間味ある人との関わりにありがたみを改めて感じるようになりました。近所に住んでいるおばちゃんは、私が高校に合格したときに喜んでくれたり、帰省した時に昔と同じように接してくれたり、一緒に感情を分かち合える関係というのは都会ではなかなか考えられません。私自身、川崎に出てきて、「濱﨑先生は人の心をつかむのがうまいね」と言わることがありますが、私にとっては天草の人とのかかわりが自然と出ているだけです。

 

〇今後、どういうふうに進んでいこうとしていますか?

熊本県の教員に採用されて地元、天草で教員として働きたいと願っています。
川崎で教育に携わると、文部科学省の調査官から話を聞く機会もあり、最先端の教育を学びそれを実践することができています。私は、ここで学んだ多くのことを必ず天草の子どもたちに還元したいです。将来的に天草で教員として働くことは今の私の夢です。

 

〇学生時代に目指した職業はなんですか?

小中高、どの学校かも決めていませんでしたが、子どもに関わる仕事がしたかったので教員を目指していました。

 

〇なぜ子どもに携わる仕事をしたかったのか?

子どもが成長する姿に出会い感動したことが大きかったのかもしれません。養護学校で脳性まひで車イスの子が一生懸命手を叩いてトイレを教えてくれたり、知的障害の子が上靴を履けるようになったりする姿を目の当たりにして心からうれしくなりました。そうした子どもと共に成長の感動を味わえる経験から教員の仕事をやりたいと強く思うようになったのかもしれません。

それに加えて、自分が子どもの頃学校を好きだったというのもあります。小中学校と毎日友達と会えることが楽しかったです。

また、先生に恵まれたというのも大きいです。先生は分からず悩んでいる私に納得のいくように真剣に教えてくれました。そうした先生の姿に潜在的にあこがれていったのかもしれません。先生方にいっぱいほめてもらったことがうれしかったです。当時の先生方の関わりに今でも心から感謝しています。

 

〇教育環境に恵まれない子達にはどのように接していますか?

小学校4年生までの計算と読み書きができるようになることが子どもたちにとっては最善だと言われています。基礎学力が身につけば自分で物事を考える力が付くのでしょう。つまり、小学校の先生の関わりや教え方が重要になってきます。

実際に家庭や教育環境に恵まれない子を担任したこともあります。そういう時は教員が時に親代わりを努めたり、授業が楽しいと思えるように教え方を向上させたりしてきました。子ども達が一人で生きていく力を身に付けるためには、小学校教員の存在が大きいということです。

 

〇天草に暮らすこどもたちにメッセージをお願いします

私は、天草高校時代に、コンプレックスの塊でした。テストはいつも赤点で親を呼び出され申し訳なさそうに担任に頭を下げる母の姿を見てきました。それが悔しくて悔しくて。でも、どうすることもできず、どこにもぶつけようのない怒りだけをいつも持っていました。

 しかし、そんな私を、高校の恩師である水上滋先生だけは、常に気に留めてくださっていました。成績で計れない私の潜在能力を信じて、毎日声をかけてくださいました。 水上先生の存在が、私の反骨精神の火を消すことなく腐らず投げ出さずここまでこれた原動力です。(高校時代の濱﨑さん写真右下。設立100周年記念時の生徒会長を務められました。)

私からみなさんに言えることは、自分を信じて大事に思ってくださる人を大切にしてくださいということです。悔しい時、苦しい時、辛い時、その人を思い出してください。みなさんの夢は、その人達の夢でもあります。夢に向かって諦めず努力を続けることは、信じてくださっている人達への恩返しです。

私自身、まだ夢の途中ですが、教員として採用されたのは、30歳です。大変、苦労はしましたが、夢から逃げ出すことはしませんでした。なぜなら、夢から逃げることは、信じてくださる人から逃げ出すことになると思ったからです。

今でも忘れないのが、川崎の教員に採用されて熊本空港で羽田空港行きの飛行機を待っていると、水上先生がお見えになり、泣きながら見送ってくださったことです。教員と生徒という立場を超えて、自分を信じてくださる人の想い、その言動に胸を打たれました。
(下写真は、濱﨑さんの母校天草高校創立100周年記念誌の在校生メッセージ)

きっとみなさんにもそうした人がいらっしゃるはずです。 その人達の想いも背負っていることに幸せと誇り、そして、責任を感じて頑張ってください。 いつか、みなさんと共に私たちの故郷天草を盛り上げていけることを心より楽しみにしています。

みなさんたちの新しい感覚が、未来の天草を創っていきます。 一緒に世界から注目される天草をめざして頑張りましょう。

  Facebook:濱﨑伸太郎

 取材を重ねていると、濱﨑さんがこの間こういうことがあったよと教えてくれました。

写真は担任しているこどものおばあさまから学校に電話があった際に、教務主任の先生がメモされたものです。

電話をくれたおばあさまの感動と感謝の気持ちが伝わってきます。

 

このような児童を、保護者を、先生たちを感動させる濱﨑さんの芯は、天草で培われたものだと思います。濱﨑さんが目指す教師像はもう形ができて、本人が気が付かないうちに動き出しているのかもしれません。

小学校は学力の基礎を固めるだけのところではなく、人としての基礎も学ぶ場。そういうところで、濱﨑さんのような熱い先生に出会える子ども達は幸せだと感じました。

 

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